東京十社巡り ~ 2周目 その2 [写真]
東京十社巡りの2周目をしている。2周目は御朱印を集めている。御朱印帳の地図に書いてある順番で反時計回りに回っている。神田明神から始め、一日2箇所、今日は品川神社と芝大神宮に行ってきた。昨日、関東地方はゲリラ豪雨に見舞われたが、今日は打って変わって晴れとなった。梅雨が明けたのかと思うような日差しだが、まだ梅雨は明けておらず、明日はまた天気が崩れるらしい。
この稲は何に使うのでしょうか。
富士塚に登ったら、しっぽが青く光るトカゲを発見。これと同じものを朝夷名切通しでも見たので、日本ではポピュラーなのだろうか。(検索したら、ニホントカゲというらしい)
この稲は何に使うのでしょうか。
富士塚に登ったら、しっぽが青く光るトカゲを発見。これと同じものを朝夷名切通しでも見たので、日本ではポピュラーなのだろうか。(検索したら、ニホントカゲというらしい)
東京十社巡り ~ 2周目 [写真]
前回東京十社巡りをしたとき、ミニ絵馬を集めた。御朱印というのもあるのというのは知っていたが、なんとなく触手が動かなかった。しかし、一周してみてなんとなく御朱印も集めてみたい気になり、もう一周することにした。御朱印は主に女性がはまる物らしいので、男はあまり集めないようだが、とりあえずやってみることにした。なお、御朱印は1年経ったら絵馬と同様お炊きあげしてもらえば良いと思っていたが、どうやらそうではなくて、死ぬときに棺桶に入れて一緒に焼いてもらう物らしい。それを知ってちょっと重い感じがしたが、とりあえず集めることにした。
また、前回はアットランダムに回ったが、今回は御朱印帳に書いてある地図の順番で回ってみることにした。ただし、反時計回りにした。順番は、神田明神からはじめて根津神社→王子神社→白山神社→日枝神社→氷川神社→品川神社→芝大神宮→富岡八幡宮→亀戸天神となる。
とりあえず1日2社のペースで白山神社まで回ったので、今日は日枝神社と氷川神社に行ってきた。御朱印帳は神田明神で買ったもので、神田明神の御朱印込みで1500円だった。
今日はあいにくの雨だったが、北関東は渇水が懸念されているのでむしろ恵みの雨だろう。雨の神社も趣があって良い物だ。日枝神社の境内の竹や藤棚が雨を受けて緑がきれいだった。
また、前回はアットランダムに回ったが、今回は御朱印帳に書いてある地図の順番で回ってみることにした。ただし、反時計回りにした。順番は、神田明神からはじめて根津神社→王子神社→白山神社→日枝神社→氷川神社→品川神社→芝大神宮→富岡八幡宮→亀戸天神となる。
とりあえず1日2社のペースで白山神社まで回ったので、今日は日枝神社と氷川神社に行ってきた。御朱印帳は神田明神で買ったもので、神田明神の御朱印込みで1500円だった。
今日はあいにくの雨だったが、北関東は渇水が懸念されているのでむしろ恵みの雨だろう。雨の神社も趣があって良い物だ。日枝神社の境内の竹や藤棚が雨を受けて緑がきれいだった。
日蓮 辻説法跡
鎌倉にもっとなにか日蓮関連の史跡はないか調べたところ、辻説法の史跡がもう一つあるようだ。
本興寺 (鎌倉市) (Wikipedia)
本興寺は小町の辻説法跡よりずっと海岸の方にある。
さらに調べると、塔の辻といって、鎌倉の東西南北の隅で行われていたという記述もある。
日蓮聖人と辻説法 ~ 日蓮宗妙覚寺
またさらに調べると、いま「辻説法跡」という史跡になっているのは、実は辻説法の場所ではなく、明治34年、日蓮信者の田中智学という人が、土地の都合上あそこに作った物らしく、本当は蛭子神社というところで辻説法を行っていたという記述があった。
辻説法跡の腰掛け石 ~ 窮々自適
またまた調べると、実は日蓮は辻説法を行っていなかったという説が出てきた。
鎌倉・小町大路。「日蓮辻説法跡」はあっても、日蓮は辻説法していない? ~ オーナーズ・スタイル
いったい何を信じれば良いのだろう、鎌倉まで行って自分の見た物は何なんだろう、と愕然とした。
ま、いいか。
本興寺 (鎌倉市) (Wikipedia)
本興寺は小町の辻説法跡よりずっと海岸の方にある。
さらに調べると、塔の辻といって、鎌倉の東西南北の隅で行われていたという記述もある。
日蓮聖人と辻説法 ~ 日蓮宗妙覚寺
またさらに調べると、いま「辻説法跡」という史跡になっているのは、実は辻説法の場所ではなく、明治34年、日蓮信者の田中智学という人が、土地の都合上あそこに作った物らしく、本当は蛭子神社というところで辻説法を行っていたという記述があった。
辻説法跡の腰掛け石 ~ 窮々自適
またまた調べると、実は日蓮は辻説法を行っていなかったという説が出てきた。
鎌倉・小町大路。「日蓮辻説法跡」はあっても、日蓮は辻説法していない? ~ オーナーズ・スタイル
いったい何を信じれば良いのだろう、鎌倉まで行って自分の見た物は何なんだろう、と愕然とした。
ま、いいか。
鎌倉 ~ 日蓮・龍の口法難の道を歩く(追補) [写真]
横須賀 ~ 日蓮上陸の跡をたどる [写真]
日蓮が千葉から鎌倉に向かうとき、海を渡って来たらしく、横須賀の猿島にその史跡があることが分かった。そのほかにも上陸後に通った場所に史跡がいくつかあるらしいので、巡ってみることにした。
京急の横須賀中央駅からしばらく歩いて三笠公園を目指す。
三笠公園から猿島行きのフェリーに乗る。
往復券と入園料を支払い、フェリーに乗り込む。一時間に一便出ている。日曜のためかほぼ満員状態だった。
遠くに見える猿島を目指す。
10分ほどで猿島に着く。風が強かったが。ビーチで大勢の人がバーベキューやバレーボールをしていた。
猿島は、日本軍の要塞や台場として使用されていたことで知られている。ここに日蓮の史跡があることを知る人は少ないのではないか。上陸地点と逆の端に日蓮が一時避難した洞窟がある。
切通しの両側に日本軍の施設が作られている。ツアーに参加しないと中には入れないようだ。
日蓮洞はもうすぐ
この海岸にある。
ここがその洞窟。結構内部は広いようだ。
千葉は見えない(たぶん)。
まだ梅雨は開けていないが、ものすごく天気がよかった。
帰りの便までは1時間15分だったのだが、日蓮洞へ行って戻ってきたら1時間ぐらい経っていた。短い滞在時間だった猿島に別れを告げる。
次に、日蓮が上陸後に滞在した洞窟を目指す。今は龍本寺というお寺になっているらしい。横須賀中央駅に戻り、駅前の道を東に向かう。若松マーケットに進み、諏訪神社の前を通ると、階段が見えてくる。この階段を上るのだが、龍本字は山の上にあるのでかなりきつい。
龍本字にようやくたどり着く。しかし、どこを見回しても日蓮の史跡はない。
仕方なくネットを検索すると、どうやらこの寺のある山の中腹にあるらしい。境内の本堂向かって右に今来た階段とは別の階段があるのでそこをを降りる。(案内板など全くない。)
しばらく降りると洞窟が見えてくる。
ここがその洞窟らしい。(よく見ると献花が骸骨の顔に見えて怖い。)
案内板など全くなく、石碑があるのみなのだが、知ってる人は知ってるのだろうか。
次に、日蓮が通ったという衣笠十字路を目指す。横須賀中央駅に戻り、衣笠方面に行くバスに乗る。ここからはバスでの移動となる。
衣笠十字路停留所で降りる。
停留所の向かい側にあるのだが、横断歩道がないので地下道を使う。
しばし歩いて、川を渡ったところにいきなり史跡がある。
この道を通ったのだろうか。
次に、高祖井戸を目指す。JR衣笠駅まで歩き、逗子行きのバスに乗る。
大楠登山口で降りる。
停留所そばの信号を渡り、向かい側の坂を上る。
坂をちょっと上ると非常に分かりづらい案内板がある。(ちなみに、この坂も史跡らしい)
お分かりいただけただろうか。
この奥に井戸がある。周りは竹林だが、道が細くて整備されておらず、落ち葉で足下が悪い。正直、危ないのであまりおすすめできない。
井戸にたどり着く。
暗くて見えなかったが、あとで撮った写真を見ると水面が見える。
周りはうっそうと茂る竹林になっている。
神奈川県内の日蓮に関する史跡はここまで。次は足跡をたどって鎌倉を目指す。一度逗子駅までバスで向かう。
逗子駅からバスで名越切通しを目指す。亀が岡団地循環のコミュニティバスに乗り、法性寺のバス停で降りた。
法性寺の山門が見えるが、名越切通しにはいくつか入り口があるので今回は違う入り口から入ることにした。ただ、法性寺のバス停で降りたのは失敗で、しばらく歩く必要があった。
GoogleMapで調べるとどうもここが入り口らしいのだが、案内板が全くない。ここは逗子市だが、観光に力を入れている鎌倉市との違いなのかもしれない。
ほんとにここでいいのか?と思うような光景。
しばらく行くとそれらしい風景になってきた。登りがかなりきつい。
やっと案内板があったので確信できた。
後ろを振り向くと切通しが見えるが、時間も無いので行かなかった。亀ヶ岡入り口から入るとあの切通しを通れた。
まんだら堂やぐら群は公開期間中ではなかったので鍵がかかっていた。
鎌倉を目指して切通しを進む。
切通しが終わり、しばらく行くと日蓮乞水がある。
安国論寺に着いた。5時を過ぎているのでもう山門が閉められている。
そして最後の目的地は安国論寺の横の道にある。
しばらく行くと何の変哲も無い駐車場の所に案内板がある。
駐車場の奥にそれはある。
ここが鎌倉到着後に滞在した洞窟と井戸。
井戸はいまでも水が出る(飲むことはできない)
これで猿島から鎌倉までの史跡をたどる工程が終了した。それにしても、洞窟にばかり滞在したのはなぜだろう。また、なぜ千葉から陸路を使わずに海路を使ったのかという疑問もある。もしかしたら鎌倉時代にはわりと普通のことなのかもしれない。
京急の横須賀中央駅からしばらく歩いて三笠公園を目指す。
三笠公園から猿島行きのフェリーに乗る。
往復券と入園料を支払い、フェリーに乗り込む。一時間に一便出ている。日曜のためかほぼ満員状態だった。
遠くに見える猿島を目指す。
10分ほどで猿島に着く。風が強かったが。ビーチで大勢の人がバーベキューやバレーボールをしていた。
猿島は、日本軍の要塞や台場として使用されていたことで知られている。ここに日蓮の史跡があることを知る人は少ないのではないか。上陸地点と逆の端に日蓮が一時避難した洞窟がある。
切通しの両側に日本軍の施設が作られている。ツアーに参加しないと中には入れないようだ。
日蓮洞はもうすぐ
この海岸にある。
ここがその洞窟。結構内部は広いようだ。
千葉は見えない(たぶん)。
まだ梅雨は開けていないが、ものすごく天気がよかった。
帰りの便までは1時間15分だったのだが、日蓮洞へ行って戻ってきたら1時間ぐらい経っていた。短い滞在時間だった猿島に別れを告げる。
次に、日蓮が上陸後に滞在した洞窟を目指す。今は龍本寺というお寺になっているらしい。横須賀中央駅に戻り、駅前の道を東に向かう。若松マーケットに進み、諏訪神社の前を通ると、階段が見えてくる。この階段を上るのだが、龍本字は山の上にあるのでかなりきつい。
龍本字にようやくたどり着く。しかし、どこを見回しても日蓮の史跡はない。
仕方なくネットを検索すると、どうやらこの寺のある山の中腹にあるらしい。境内の本堂向かって右に今来た階段とは別の階段があるのでそこをを降りる。(案内板など全くない。)
しばらく降りると洞窟が見えてくる。
ここがその洞窟らしい。(よく見ると献花が骸骨の顔に見えて怖い。)
案内板など全くなく、石碑があるのみなのだが、知ってる人は知ってるのだろうか。
次に、日蓮が通ったという衣笠十字路を目指す。横須賀中央駅に戻り、衣笠方面に行くバスに乗る。ここからはバスでの移動となる。
衣笠十字路停留所で降りる。
停留所の向かい側にあるのだが、横断歩道がないので地下道を使う。
しばし歩いて、川を渡ったところにいきなり史跡がある。
この道を通ったのだろうか。
次に、高祖井戸を目指す。JR衣笠駅まで歩き、逗子行きのバスに乗る。
大楠登山口で降りる。
停留所そばの信号を渡り、向かい側の坂を上る。
坂をちょっと上ると非常に分かりづらい案内板がある。(ちなみに、この坂も史跡らしい)
お分かりいただけただろうか。
この奥に井戸がある。周りは竹林だが、道が細くて整備されておらず、落ち葉で足下が悪い。正直、危ないのであまりおすすめできない。
井戸にたどり着く。
暗くて見えなかったが、あとで撮った写真を見ると水面が見える。
周りはうっそうと茂る竹林になっている。
神奈川県内の日蓮に関する史跡はここまで。次は足跡をたどって鎌倉を目指す。一度逗子駅までバスで向かう。
逗子駅からバスで名越切通しを目指す。亀が岡団地循環のコミュニティバスに乗り、法性寺のバス停で降りた。
法性寺の山門が見えるが、名越切通しにはいくつか入り口があるので今回は違う入り口から入ることにした。ただ、法性寺のバス停で降りたのは失敗で、しばらく歩く必要があった。
GoogleMapで調べるとどうもここが入り口らしいのだが、案内板が全くない。ここは逗子市だが、観光に力を入れている鎌倉市との違いなのかもしれない。
ほんとにここでいいのか?と思うような光景。
しばらく行くとそれらしい風景になってきた。登りがかなりきつい。
やっと案内板があったので確信できた。
後ろを振り向くと切通しが見えるが、時間も無いので行かなかった。亀ヶ岡入り口から入るとあの切通しを通れた。
まんだら堂やぐら群は公開期間中ではなかったので鍵がかかっていた。
鎌倉を目指して切通しを進む。
切通しが終わり、しばらく行くと日蓮乞水がある。
安国論寺に着いた。5時を過ぎているのでもう山門が閉められている。
そして最後の目的地は安国論寺の横の道にある。
しばらく行くと何の変哲も無い駐車場の所に案内板がある。
駐車場の奥にそれはある。
ここが鎌倉到着後に滞在した洞窟と井戸。
井戸はいまでも水が出る(飲むことはできない)
これで猿島から鎌倉までの史跡をたどる工程が終了した。それにしても、洞窟にばかり滞在したのはなぜだろう。また、なぜ千葉から陸路を使わずに海路を使ったのかという疑問もある。もしかしたら鎌倉時代にはわりと普通のことなのかもしれない。