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横須賀 ~ 日蓮上陸の跡をたどる [写真]

日蓮が千葉から鎌倉に向かうとき、海を渡って来たらしく、横須賀の猿島にその史跡があることが分かった。そのほかにも上陸後に通った場所に史跡がいくつかあるらしいので、巡ってみることにした。

京急の横須賀中央駅からしばらく歩いて三笠公園を目指す。
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三笠公園から猿島行きのフェリーに乗る。
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往復券と入園料を支払い、フェリーに乗り込む。一時間に一便出ている。日曜のためかほぼ満員状態だった。
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遠くに見える猿島を目指す。
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10分ほどで猿島に着く。風が強かったが。ビーチで大勢の人がバーベキューやバレーボールをしていた。
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猿島は、日本軍の要塞や台場として使用されていたことで知られている。ここに日蓮の史跡があることを知る人は少ないのではないか。上陸地点と逆の端に日蓮が一時避難した洞窟がある。
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切通しの両側に日本軍の施設が作られている。ツアーに参加しないと中には入れないようだ。
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日蓮洞はもうすぐ
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この海岸にある。
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ここがその洞窟。結構内部は広いようだ。
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千葉は見えない(たぶん)。
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まだ梅雨は開けていないが、ものすごく天気がよかった。
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帰りの便までは1時間15分だったのだが、日蓮洞へ行って戻ってきたら1時間ぐらい経っていた。短い滞在時間だった猿島に別れを告げる。
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次に、日蓮が上陸後に滞在した洞窟を目指す。今は龍本寺というお寺になっているらしい。横須賀中央駅に戻り、駅前の道を東に向かう。若松マーケットに進み、諏訪神社の前を通ると、階段が見えてくる。この階段を上るのだが、龍本字は山の上にあるのでかなりきつい。
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龍本字にようやくたどり着く。しかし、どこを見回しても日蓮の史跡はない。
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仕方なくネットを検索すると、どうやらこの寺のある山の中腹にあるらしい。境内の本堂向かって右に今来た階段とは別の階段があるのでそこをを降りる。(案内板など全くない。)
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しばらく降りると洞窟が見えてくる。
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ここがその洞窟らしい。(よく見ると献花が骸骨の顔に見えて怖い。)
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案内板など全くなく、石碑があるのみなのだが、知ってる人は知ってるのだろうか。
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次に、日蓮が通ったという衣笠十字路を目指す。横須賀中央駅に戻り、衣笠方面に行くバスに乗る。ここからはバスでの移動となる。
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衣笠十字路停留所で降りる。
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停留所の向かい側にあるのだが、横断歩道がないので地下道を使う。
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しばし歩いて、川を渡ったところにいきなり史跡がある。
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この道を通ったのだろうか。
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次に、高祖井戸を目指す。JR衣笠駅まで歩き、逗子行きのバスに乗る。
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大楠登山口で降りる。
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停留所そばの信号を渡り、向かい側の坂を上る。
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坂をちょっと上ると非常に分かりづらい案内板がある。(ちなみに、この坂も史跡らしい)
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お分かりいただけただろうか。
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この奥に井戸がある。周りは竹林だが、道が細くて整備されておらず、落ち葉で足下が悪い。正直、危ないのであまりおすすめできない。
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井戸にたどり着く。
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暗くて見えなかったが、あとで撮った写真を見ると水面が見える。
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周りはうっそうと茂る竹林になっている。
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神奈川県内の日蓮に関する史跡はここまで。次は足跡をたどって鎌倉を目指す。一度逗子駅までバスで向かう。
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逗子駅からバスで名越切通しを目指す。亀が岡団地循環のコミュニティバスに乗り、法性寺のバス停で降りた。
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法性寺の山門が見えるが、名越切通しにはいくつか入り口があるので今回は違う入り口から入ることにした。ただ、法性寺のバス停で降りたのは失敗で、しばらく歩く必要があった。
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GoogleMapで調べるとどうもここが入り口らしいのだが、案内板が全くない。ここは逗子市だが、観光に力を入れている鎌倉市との違いなのかもしれない。
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ほんとにここでいいのか?と思うような光景。
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しばらく行くとそれらしい風景になってきた。登りがかなりきつい。
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やっと案内板があったので確信できた。
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後ろを振り向くと切通しが見えるが、時間も無いので行かなかった。亀ヶ岡入り口から入るとあの切通しを通れた。
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まんだら堂やぐら群は公開期間中ではなかったので鍵がかかっていた。
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鎌倉を目指して切通しを進む。
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切通しが終わり、しばらく行くと日蓮乞水がある。
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安国論寺に着いた。5時を過ぎているのでもう山門が閉められている。
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そして最後の目的地は安国論寺の横の道にある。
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しばらく行くと何の変哲も無い駐車場の所に案内板がある。
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駐車場の奥にそれはある。
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ここが鎌倉到着後に滞在した洞窟と井戸。
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井戸はいまでも水が出る(飲むことはできない)
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これで猿島から鎌倉までの史跡をたどる工程が終了した。それにしても、洞窟にばかり滞在したのはなぜだろう。また、なぜ千葉から陸路を使わずに海路を使ったのかという疑問もある。もしかしたら鎌倉時代にはわりと普通のことなのかもしれない。
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